2013年2月27日水曜日

造形

 不思議な言葉だ。とらえどころがないのに結構使っている。「形体をこしらえること」新村出編『広辞苑』(岩波書店、昭和30年)、「形のあるものを作り上げること」松村明『スーパー大辞林3.0』(三省堂2006-2008)など、いずれも省略されてはいるものの、明らかに主語は「人」だ。人が形を作る、その行為全般を指していると言っていい。現実的には「造形芸術」や「造形美術」などといった使われ方が多いので、芸術的な印象のある言葉だと思う。芸術の世界では表現をカテゴライズする際にも用いられ、その範疇には絵画、彫刻はもとより工芸や建築も含まれる。一方で英語では?と調べると「molding」とそっけない。moldingはむしろ「型に入れて作ること」すなわち鋳造のイメージが強い。「こしらえる」といった手をつかって直接物質を整えるというよりは、やや機械的に行う印象だ。「造形美術」となると「the formative art」となって、「絵画と彫刻をさし、建築や工芸は含まない」井上永幸・赤野一郎編『ウィズダム英和辞典』(三省堂2006-2008)となる。つまり英語では日本語でのイメージの「造形」を表現するこれといった1つの言葉がないのだ。日本語としても「造形をしています」というのは様々なものづくりの場で使われる便利な言葉で、自分自身もそうだが、「工芸家」というよりは「造形家」というほうがしっくりくる、というように意味をややぼんやりさせることが出来る。

一方で、「自然の造形」という表現もある。こちらはぼんやりどころか、かなり表現する中身ははっきりしている。まさに自然現象によって作り出される形のことだ。だれかの恣意ではなく主語は「自然」だ。人の営みとしての「造形」よりももっと「造形」という言葉の響きがしっくりくる感じがある。「自然の造形にはやっぱりかなわないな」というような言葉をよく耳にするが、どこかで「造形」というものが人のものではなく自然のものだという認識が人間の中にあるのかも知れない。そもそも「造形」は人ではなく自然の営みなのだ。それを引き寄せるために人は様々なものづくりを工夫するのかも知れない。影も形もこういう景色にはやっぱり「造形」ということばがしっくりくる。


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